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イーグル 時を超え、人類の歴史の中に脈々と受け継がれてきた神秘の生命カ。
The Aloe Histry
アロ工の素晴らしさが人類の歴史の中にはじめて記録として残されているのは、エジプトのピラミッドの奥深く、ミイラのひざの間から発見されたパピルスである。
紀元前1550年ころに書かれたといわれるこのパピルスには、象形文字で、エジプト人たちがアロエを「不滅の植物」と名づけ、珍重していたことが記されている。
また、その数百年前、つまり紀元前2000年ころから、すでにアロエが人々に用いられていたことも述べられている。
紀元前4世紀、マケドニア帝国の盟主アレキサンダー大王は、東征の野望を果たす際、まずアフリカ東海岸沖に位置するソコトラ島を征圧した。
これは、この島のアロエ畑を手に人れることにより、兵士たちの健康を維持し、さらに士気を高揚させ、戦闘力を保持することに役立てるためだったという。
絶世の美女として歴史に語り継がれ、今に名を残す、エジプト・プトレマイオス朝の女帝クレオパトラは、アロエからつくった化粧水をことのほか愛用したと伝えられている。
ローマ帝国の時代、ペタガウス・デオコスコリデスは書物を著し、その中でアロエのすばらしさや用い方を詳細に記述している。
この書物は翻訳され、ヨーロッパで広く読まれることとなり、アロエはヨーロッパの人々に理解されるようになった。
アロエが中国に伝えられたのは、唐の時代、8世紀ころと思われる。唐代のひとりの詩人が、自らのアロエ体験談を本に残している。
中国ではアロエは蘆薈(ルーフィー)と呼ばれた。蘆は黒、薈は聚すなわち集を表し、木の樹液が疑集して色濃くなったものという意味でアロエの特徴を言い表している。
その後日本にアロエが伝えられたが、日本では蘆薈はロカイと読まれ、明治時代までアロエは一般にロカイといわれていた。
日本にアロエが渡来したのは、鎌倉時代か室町時代といわれている。しかし奈良時代にはすでに伝わっていたという説もある。
これらは中国との交流のルートで伝えられたものであるが、もう1つのルートとしてスペインやポルトガルの宣教師が、またオランダの商人がもたらしたルートも考えられる。
江戸時代になると広く民間でアロエを用いた記録があり、アロエを解説した書物もある。
中世ヨーロッパでは、神父や修道僧たちがキリスト教の布教に歩く際、アロ工を必ず携行したといわれる。
こうしてアロエは、キリスト教の浸透とともに、ヨーロッパの人びとの間に急速に広まっていった。
大航海時代、新大陸発見の熱におかされたように、ヨーロッパの強国は競って荒海に乗り出して行った。
未知の危険が待ちうける冒険行にアロ工は必需品のひとつとされ、多くの船員たちが愛用したという。
新大陸アメリカにアロエを伝えたのは、コロンブスの一行だったとも、スペインやフランスのキリスト教神父たちだったともいわれる。
旧スペイン領のメキシコやテキサスでは早くからアロ工の作付けが行われ、幾多の紆余曲折を経ながらも、次第にアメリカ大陸の人びとの間に広まっていった。
しかしその後の科学技術の発達は科学万能の風潮をもたらし、アロエはいつしか人々に忘れられていった。
第一次、第二次大戦で勝戦国となったアメリカは、その資源の豊かさが人々の勤勉さと相まって文字通り世界のリーダーとしての地位を確立した。
その衣食住は世界の貧しい国の人々のあこがれの的となった。それは豊かさの象徴であった。科学技術の発達は医療技術の分野でも著しいものがあり、多くの感染症を克服した。
しかしこの医療技術の発達が必ずしもすべての病気を克服するものではなく、多くの成人病は未解決のまま残された。
1977年アメリカ上院栄養問題特別委員会が発表したマクガバンレポートは、アメリカをはじめ世界中の人々に大きな衝撃を与えた。
それはアメリカ人の食生活は非常に問題があり、即刻改められなければならない、という内容であった。
缶詰めや冷東食品に代表される加工食品、便利なファーストフード、お皿からはみ出しそうな大きいビーフステーキ、これらはすべて、多くの人々を悩ませている成人病の原因であると指摘している。
長い人類の歴史の中で人びとがめざしたものは飢えからの開放であった。食料の確保、そして保存、加工、精製。これらはすべて人びとに幸せをもたらすはずのものであった。
いまそれらに問題があるとすれば何をすればよいのか。入間の身体の本来のあり方を考えたとき、大自然の一員としてこの地球上に年命を与えられた我々人類は、大自然とのかかわりを無視して健康はあり得ないということに気がついた。
アロエが健康と美容に役立つ植物として再び注目されるようになったのはこのような時代の要請があったためだといえる。いま健康を願う世界中の人々の熱い眼ざしがこのアロエに注がれている。
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The Bee History
人類がミツバチをあがめ、ハチミツの甘さに焦がれた歴史は古い。
スペイン・バレンシア地方のスパイダー洞穴に、6000年以上も前に描かれたといわれる壁画には、野生のハチの巣をめざす人の様子がくっきりと刻まれている。
花粉の魅力を人類が知ったのも、はるか6000年以上も前のことのようである。
中近東で発見された、先史民族ネアンデルタール人のものと思われる遣跡のほら穴式住居から、たくさんの花粉が見つかっている。
野生の花から採ってきたのであろうか、それともミツバチの巣から採ってきたものなのか…。
いずれにしても、ネアンデルタール人たちが花粉を愛用していたことは間違いない。
北欧の神話では、神々の永遠の生の秘密はその食べもの、ミツバチのパンとハチミツにあると伝えられている。
ミツバチのパンとは、つまり、ミツバチがダンゴ状に固めて巣に持ち帰る花粉に他ならない。
古代インドでは、ミツバチは神の聖なる友と考えられていた。また、聖書の編さんに携った人びとは、ミツバチたちが群れを維持するいとなみをあがめ、誉めたたえた。
かのナポレオンは、ミツバチの組織に国家構成の理想を見て、ミツバチを自身の紋章にしたという。
ブルガリア人の長寿の秘密はヨーグルトを食べることにある、といわれていた。
ところが、実は彼らが好んで食べるハチミツやローヤルゼリー、花粉こそ長寿のみなもとではないか、という考え方が最近では有力になっている。
ハワイの原住民たちは、花粉を若さと健康の使者と呼び、珍重している。
ポリネシアの原住民の間にも花粉を食べる習慣が古くからある。
ソ連政府では、国内の長寿者についてさまざまな角度から調査を行った。
すると、その大半がミツバチを飼い、ハチミツを常食していることがわかった。ハチミツにどのような長寿の秘密が隠されているのか、研究が進められている。
花粉はいわば植物の精子であり、測りしれない生命力を秘めているであろうことを、人類の知恵は見抜いていた。
そして、その花粉を媒介し、また食料ともするミツバチたちが生み出す物質にも、同様の生命力があるだろうと考えたことは、当然といえよう。
フォーエバーリビングプロダクツ社は、このような先人たちの教えを引き継ぎ、広く人びとの健康と体力の増強に役立つ自然食品の研究と開発に着手したのであった。
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